尚冨の立川三昧

第18回 立川流の秘密3−力神(その2)

 亀崎中切組力神車における力神彫刻の役割は実は以下のようなことではなかったかと思われます。
 壇箱という部分は箱というぐらいですから、正面左右に彫刻がぐるっとまわるわけです。それまでの立川流彫刻というのは、壁面に装飾するというのが基本ですから、横からも見ることが出来る彫刻を作ることはなかったのです。正面と左右を上手に結ぶためには、角が一番難しい問題です。その角を絵画的にうまくつなぐために、この力神をもってきたのではないかと思います。この力神を置くことによって、正面の彫刻と左右の彫刻がスムーズにつながって、バランスが非常によくなります。下から上に持ち上げるという力の部分には少し欠けはしますが。
 この力神のバックには鶏が彫刻されています。山車を神の宿るところ=神社と考えますと、力神が外敵から守る人です。「ここから先は境内ですよ」というつもりで鶏が彫ってあると思います。こういった事から考えますと単純に物を持ち上げて、支えている姿というよりは、奈良の東大寺の金剛力士像と同じような感覚で邪気を払い、守ると言う意味合いの方が強いと思います。それだけに従来の物を持ち上げるという役割以外のすごさが表現されるようになったのではないかと思います。そのため、この作品の表情などが特にすばらしいと言われるのだと思います。

 中切組力神車の力神にはもう一つ秘密があります。この力神には裏に刻銘が入っているのですが、ひとつは「立川和四郎富棟」、もうひとつは「立川和四郎富昌」と書かれています。実はこの力神、文政10年に出来上がった物で、富棟はすでに亡くなってこの世にはおりませんでした。富昌が当然彫ったのだと思われるわけですが、会心の作ができた喜びの中に、父の偉業を偲び、立川流としての誇りをそこに刻んだのかなと思います。このことは通常、正面からでは見ることができませんので、ひとつの隠れた秘密です。
 さらに、この力神はひとつの木で作られてはおらず、三つの部分に分けられています。そのため木目を非常にうまく使っております。一木で彫ったのでは出来ない場所に木目が出てくるわけです。巧みな寄せ木技術をここに見ることが出来ます。なんとなく見ただけでは、一本の木を彫りぬいたように見えますが、よく見ますと三つに分かれているのです。これもこの力神の秘密かなと思います。
 通常、立川流は木目を生かすことが一つの特色でもあります。木目を生かすと、造形的な美しさに加味して、素材を生かしたものとなり、美術的な面と工芸的な面が合体したおもしろい作品になります。この力神は、腹、胸、膝などを頂点として木目が等高線のようにみごとに並んでいます。
 中切組の力神をじっとみますと、富昌という人の美術力のすごさ、芸術性が寄せ木の木目の表現力から読みとれます
写真  右上:壇箱の角に配置された力神  中右:東大寺南大門 金剛力士像  下右:木目の表現力が見事
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