尚冨の立川三昧

第4回 豊川稲荷 − その2

 その時はそれで終わったのですが、わたしたちは立川流彫刻を再興して伝承していくという立場なので、この極彩色の彫刻というのも資料としてきちんとしておかなければいけないと考えました。

 平成8年の3月くらいでしたか、再度、研究所の日本画家で院展院友の佐治満澄といっしょにもう一度、本殿厨子だけを見学に行きました。この時も無理をお願いして、外の扉を開けて、自然光を入れていただきました。そうしないと、とても色を見ることはできませんでした。
 見れば見るほど、これは極彩色だったのだという事がよくわかりました。事細かにチェックをしました。その色合いだけではなくて、彫り方というのをよく見てきました。彫刻してある作風が、立川流でもそれぞれ同じようであっても、いろいろ違うものなのです。もちろんサイズもきちんと測ってきました。
 
 研究所の方で、とにかく扉1枚だけを、当時の姿そのままにしてみようという事を企画しました。なにしろ本殿の厨子というのは大きな物ですから、扉1枚、鳳凰の面だけでも大変です。まず、佐治の方が下絵作りに入りました。きちんと下絵を作って彫りなおしをしていこうという事です。  下絵が出来あがりまして、ヒノキで彫り始めました。だいたい彩色彫刻の多くは、ヒノキです。
 彫りあがって、素木のままのものをを見た時に、一つの発見をしました。色を付ける前の状態でありましても、非常に表情があるという事です。要するに絵画としてきちんと成り立っているのです。立川流というのはそこが一番すぐれているのかなと、改めて感心しました。ここから彩色にはいりました。これは佐治の方が非常に慎重に色付けをしていきました。本当に線一本一本丁寧に、元通りの色を復元しながら、同じ材料、同じ質感で、描いていきました。出来あがったものを金箔の板の上にのせてみた時の感動というのは、本当に言葉では言い表せませんでした。とにかく、こんなに鮮やかですばらしい表現ができた作品というのは見たことがありませんでした。
 立川流というのは素木が本来と言われていますが、そればかりではないという感じがしました。彩色にしてみますと、奥が深いものがあるなという事を感じました。
写真  右上: 彩色前の鳳凰 左下: 彩色後の鳳凰
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