尚冨の立川三昧

第8回 米国での立川流彫刻−その1 (立川流の芸術性)

 このたびラスベガス美術館の「Asian Art Now 2002」という美術展に私の作品が入選し、このため5月に1週間程の日程でアメリカへ行って来ました。 昨年(Asian Art Now 2001)に続いての連続入選でしたが、こうした海外へのアプローチは「立川流彫刻の芸術性」というものを改めて考えるよい機会になったように感じます。
 今回はこの「Asian Art Now」への作品出展と、それを通じて再認識した「芸術・美術としての立川流」についてお話ししたいと思います。

 江戸期の装飾彫刻は、芸術ではない、美術ではないと否定されることが一般的ですが、私は立川流の作品は芸術性のある美術作品だと思っていました。なぜか日本では、伝統というものを、ちょっと美術とは違う所へ押しやってしまうような風潮があるようです。「過去の物であって、今は美術として全然機能してはいないのだ。」というような雰囲気さえあります。そんな中で私が立川流彫刻を再興していこうと思った時にまず第一にねらったのは、美術として確立をしようという事でした。

 何はともあれ立川流彫刻の作風を見てきますと、これはもう確実に美術として発展してきたことが分かります。たまたま美術館ではなく神社・仏閣・山車となって民衆の目に留まるのがその時代だったわけです。きっと今なら博物館・美術館などで一般の人に鑑賞されることになっていたことでしょう。

 この立川流彫刻というのは何が特徴かといいますと、彫刻をする以前の「下絵」にあります。この下絵を見ますとまさに日本画そのものと言えます。その下絵が一つの絵画として画面構成等、完成されているのです。このすばらしい下絵を基に、木という素材を使って立体化させた物が立川流彫刻だと思います。さらにその木の素材の木目を生かすというところに立体感プラスアルファというものを見いだすことが出来ます。下絵が完成された美術品であるからこそ、それを彫刻として創作する場合に、再び木彫りの美術品に生まれ変わるのです。しかもその下絵を非常にたくみなテクニックを使って再現します。ここに技術という面が現れてくると思いますが、この技術を使って下絵を立体にしていくわけです。

 また、立川流彫刻には必ずテーマがあります。中国の古いお話、あるいは唐の時代の詩等々から引用されていて、学問的にも高度なものが取り上げられています。例えば三国志ならば三国志の武将をどの場面で表現しようかということになりますが、物語絵を作っているわけではなく、その場面のその人物をどう表現するかに力をそそいでいる痕跡がみられます。まさにひとつのテーマを彫刻表現していく芸術作品なのです。そこからスタートしているからこそ、立川流彫刻というのは発展をしたのであろうと思います。ただ技術に走り、細かく彫り進むといった事だけを重視したのでは、とてもよい作品はできてこなかったのであろうと思います。

 今私たちがその立川流彫刻の再興に取り組むに当たっては、その辺を最も念頭にいれてかからなければならないと考えています。
写真  左上: 下絵と彫刻/亀崎西組花王車「葡萄採り仙人」  右下:三国志「桃園の誓い」/亀崎田中組神楽車
【 戻る 】 【 次へ 】