尚冨の立川三昧

第13回 忘れ得ぬ人・出会い  岐阜の名和昆虫館館長「名和秀夫さん」を偲んで

 平成15年2月9日に名和昆虫館・館長の名和秀夫さんが78歳でお亡くなりになりました。私としては、非常に寂しい気持ちでいっぱいです。
 私のような伝統彫刻をやっているものと名和さんとの結びつきを、不思議に思われるかもしれません。

 昭和50年代の前半でしたか、名和さんがラジオ番組の取材で私のところにいらっしゃいました。名和さんは軽妙な語り口で非常に話術のたけた方でしたので、当時ラジオのDJとして結構人気者でもありました。昆虫の研究とは別の一面でも才能を発揮されていたのです。そういったことから、私どもの伝統美術の取材でこちらにいらっしゃったわけです。

 実は、私も子どもの頃、昆虫が大好きで、家族からは「昆虫博士」と呼ばれる行動をしておりました。夏になりますとカブト虫や蝶々を捕まえて、その標本を作ったりすることに凝っておりました。岐阜の名和昆虫館も訪れたことがありましたので、名和先生がいらっしゃるということで、密かに心を弾ませておりました。
 番組の取材についてはともかく、番組とは別にいろいろとお話する時間もありましたので、名和先生の人となりなどをいろいろと感ずる事ができました。あこがれの名和昆虫館の名和先生に惹かれるものがありました。
 名和先生は子どもの頃の心をそのまま忘れない人で、ものすごく自然な生き方をされた方だったと思います。自然破壊の問題がよく言われますが、名和先生は「自然を大切にしましょう。保護しましょう。」とかいう事を口酸っぱく言う人ではありませんでした。心の中では当然思っておられたのでしょうが、そうではなくて、そのためには何をしなくてはいけないかという事を常に考えておられる方でした。自然の楽しさとか喜びといった気持ちを知らなければ、自然を大切にする気持ちなんかは生まれないのだということが持論であったと思います。

 これは、私たちの伝統美術の分野についても同じような事が言えます。考え方としては非常に同調するものがありました。
 当時は私が伝統に関して、迷いながら携わっている時期でもありましたので、名和先生との出会いは、自分がこれから伝統を再興していくために何が必要であるかという自分の指針というものに対して、勇気づけられた思いでした。
 伝統保存ということをいくら叫んでも、伝統というもののすばらしさを理解してもらうような事がないと、伝統を保存していこうという気持ちは生まれないわけです。そうした意味で、名和先生は私の隠れた恩人だと思っています。

 この度、亡くなられたという事で本当に残念に思います。私たちを取材したラジオの放送の後でも、ご自分の番組の中で私どものことに触れていただいた事もありまして、非常にうれしくも思っておりました。改めて心から哀悼の意を表するとともに、先生の自然を愛する心、私たちで言えば、伝統を愛する心を基本にして、これからも立川流の再興に努力していこうと思います。
写真  上右:自然と文化について語り合う名和秀夫氏(左)と恒祥(右) 左下:立川流にも蝶々の彫刻が
(亀崎田中組神楽車壇箱より)
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